父親が息を引き取ったその日に自分が駆けつけた時、既に斎場に運ばれていた彼の腕にも、もちろん巻かれていたんだけど、彼の死と共にその腕時計も止まっていた。まるで父親の死を知っていたかの様に。。。そんな奇遇ってあるのかな?って思いつつ外して上げて、ふと自分の腕にしてみたら、信じられない事に、再びその腕時計は動き始めたんだ。正直かなり驚いたけど、父親から命の時間を受け継いだのかなって妙に納得してしまって、それ以来外せなくなったんだ。
今日は父親の1周忌。この1年最大の理解者だった父親を失った悲しみは海の様に深く、普段の生活の中でも様々な記憶が走馬灯のように蘇り、辛く悲しくなる時も沢山あったけど、何処か側で見ているような気もしてならなかった。京都の山奥のフェスではDJブースの後ろに居たし、ウィーンに訪れた際にフェス明けに一人ホテルで朝方寝ぼけながら食事していたら目の前に現れて、自分のやりたい事を貫きなさいって言われたし。あくまでも会いたい衝動から産まれた妄想に過ぎないのかも知れないけどね。
実際会いたいなってこの1年何度も思うよ。親孝行らしい事はほとんどして上げれなかったのに。むしろかじりきれないくらい親のすねをかじった。迷惑も一杯かけた。そんな息子なのに、死ぬ迄無償の愛を与え続けてくれた。あんなに優しく愛情を込めて育ててくれた父親に対して、何でもっと色んな場面で優しく愛を返して上げれなかったのかって、山の様に後悔してる。それでも彼はもうこの世界には居ない。でも、心の中には自分が死ぬ迄生き続けてくれると信じている。無くしてから痛感する親の有り難み。
両親が健在のうちには全く気付けないこの事実。失って気付く前にとにかく出来るだけ親孝行して欲しい。むしろしないとダメ。たまに電話するも良し、実際顔を見せに行くのでも良いし。たまに一緒に食事するのでも良いし。そんな小さな行動が親にとっては最高に嬉しい事なんだよ。親と子供の関係はどこまで行っても変わらないモノ。だから、自分が出来る事で良いから、みんな親を大事にしてね。
今日1周忌を行ったお寺の住職さんの説法は、人は常に死と向き合っている。産まれたからにはいつの日にか、死を迎えなければならない。死の前では全ての人は平等である。死者は、生き残った者が安らかに生きる事を願い、常にそのよりよき行く末を見つめ、守ろうとしていると話してくれた。切なくも真理だなと思いつつ、きっと自分の腕には、この時計が巻かれたままなんだろうな。
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