2013-08-07

8月11日ビーチパーティーやります。



811日(日)は、Block.fmで毎月第4金曜日に配信している番組"BASSTECH"のスピンオフ企画パーティーを腰越海岸で開催。今年の4月の下旬に海の家 KULA のイベントブッキング担当のエイタクンから、この夏ドラムンベースのパーティーを開催してくれないか?と相談されたのが、このパーティーを開催するきっかけだった。

去年の夏は由比ケ浜2回、材木座海岸1回、1シーズンで3回海の家で DJ する機会をもらって、そもそも神奈川の海育ちの自分としては、慣れ親しんだ海でのDJ を心底楽しませてもらったし、自然の中で聴く音楽はやっぱり最高に気持ち良かった。でも、ドラムンベースに特化したビーチパーティーでは無かったのもあって、"BASSTECH beach"では、1日ドラムンベースが海で聞きたいなと思って、まず親交のある東京でドラムンベース DJ として活動している DJ 達に声をかけさせてもらった。有り難い事にMAKOTOクン始め、REMYクルー、みんな一つ返事でオファーを承諾してくれて開催する事を決めたんだ。

しかし、この数年神奈川県湘南の海の家で開催されているビーチパーティーは、それに群がる若者達のマナーに反した素行の悪さに、海周辺地域の人々からは疑問と反対の声が上がり始め、実際今年に入り江ノ島東側の海の家は行政からの指導によって、大きな音量で音楽を流すパーティーが全面的に禁止されてしまった。そして、海開きから間もなく由比ケ浜でもクラブイベントの全面中止のアナウンスがいきなり発表された。今年由比ケ浜には訪れてないから実際どうなってるのか分からないけど、由比ケ浜にはダンスミュージックや音楽イベントに特化した海の家もあるし、何故このタイミングでなんだろうね?はっきり言って意味不明だな。

でも、色んな問題が起こって地域住民や、行政が手を焼いている事実は否めないけど、水着の女の子達を目の前にして、海で開放的な気分になってハメを外すのも理解出来る。毎日繰り広げられるどんちゃん騒ぎに対する憎悪感を地域住民が感じる気持ちも理解出来る。しかし、何から何迄規制してしまう今の日本の風潮はどうなんだろうか?クラブには警察が入り、海でも山でも音を出すな!群れる奴らは散れ!若者と音楽を中心とした文化は本当に崩壊するよ。文化が抑圧された時代は歴史上多々起こっているけど、最近は極端じゃないかな?このままで良いのだろうか?実際江ノ島周辺はクラブパーティーが無くなりすっかり人が激減してしまったようだ。海の家を運営する人達にとっても大きな打撃だろうし、遊びたい人々は自分達で自分達の遊び場を失った訳だ。両者にとってメリットが無い結果はとても残念。湘南は何キロにも渡って海岸があるんだから、家族向けの海岸と、しっかり管理して音が出せる海岸を上手に分別出来ないのだろうか?とか考えてしまう。パーティー告知でブログ書いたのに、聞く人によっては苦言を呈するような内容になってしまった。

さて、そんな状況の湘南だけど、幸運な事に腰越海岸でのパーティー"BASSTECH beach"は無事に開催される。ドラムンベースに集う人達はみんなマナーもあって良い子達だからとっても安心で、家族連れの友人も多数参加してくれそう。海の家だからクラブのようなハイクオリティーな大音量では無いけど、普段クラブでしか会えない人達が、好きな音楽を聞きながら海で1日集える機会はとても意味があると思うし、間違いなく夏しか出来ない楽しみだよね。暑さがたまらない都会の喧噪を離れてみんなで海で遊ぼうよ。俺達は夏の海を楽しむ権利があるんだから!江ノ島片瀬駅は急行に乗れば新宿から1時間弱だし、駅からKULAまで歩いて数分だから東京からもアクセスし易い。一人でも多くの人達が遊びに来てくれたらとっても嬉しいです。それでは、See you on Sunday on the beach~!

Facebookイベントページ : https://www.facebook.com/events/480339258712470/

BASSTECH FLOOR TIME TABLE

11:00 〜 12:00 MAHIRU & DAN-CHO
12:00 〜 13:00 RYUMA
13:00 〜 14:00 ITTI
14:00 〜 15:00 MASA
15:00 〜 16:00 YMASA
16:00 〜 17:10 MAKOTO
17:10 〜 17:40 ASY
17:40 〜 18:50 DJAKi & YUUKi MC
18:50 〜 19:50 MIYU
19:50 〜 20:50 RREGULA

2013-05-08

06S 12周年記念と ANDY C





















子供が産まれて12年経ったら、立派な小学校6年生。06Sは先日12年を迎えた訳だけど、もしも 06Sが本当に俺の子供だったら、もうすぐ中学生って事だよね。そう考えると10年一昔っていうけど、それよりも2年長い12年って子供が大人になっていく一歩手前まで成長している訳で、親としての責任と自覚をしっかり持たないと、下手したらその子供がぐれ始めちゃってもおかしく無いよね。これからもしっかりと育て上げて聡明な子にしないとねw
自分はひたすらに DJ 稼業を歩んで来て、そもそも基本的に自己主義でわがままな一人っ子な性分もあって、家族や子供を持たず43年も生きて来ちゃったけど、06S はみんなで大切に育てて来た自分達の子供であり、その子供を支えている人達は自分にとって掛け替えの無い家族だと思えるから、結局ここまでやれてこれたんだと思うんだ。正にファミリーが居てくれたから、少しずつ積み上げて継続して来た何モノにも代え難い12年。

今回のアニバーサリーでみんなに12年間も同じ事を続ける事は大変だよって言われて、改めて本当にそうだなって思った。もう継続出来ないかもと思う局面も山ほどあったし、自分自身のDJプレイが伸び悩んでいた時期もあるし。辛く悲しい時間ももちろんあったよ。このまま 06S はどうなってしまうんだろうって自分でも分からなくなる事も度々あったしね。でも、この長そうに感じる12年も自分自身はあっという間に感じている部分があるのも確かで、始めた頃の事も案外鮮明に覚えてて、冷静に考えると自分の音楽に対する愛と、パーティーに対する想いや、DJに対する姿勢は、全然開始当初と変わってないなって思う。でも12年の経験で成長させてもらった分、色んな側面で以前よりももっと深く物事を考えられるようになった。


自分は今、DJとしてアーティストとして生きているけど、普段の自分の生活で揺れ動く感情や、考えをそのまま自分の表現に変えて行くのが凄く大事で、それがアーティストなんだと最近は特に思う様になった。今回の12周年記念パーティーで掲げた"MY GROOVE IS YOURS"というメッセージがみんなに届いて、フロアーで俺のグルーブを体感して、一体感が産まれていたフロアーは壮観だった。正に DJという職業を選んで良かったなと思えるし、12年間あのブースに立ち続けさせてくれた事はとても光栄だ。これからも必ず継続し歴史を刻んで行くし、より熱い情熱と信念を貫きたいと、みんなが思わせてくれてる事が何よりも幸せです。

今回のアニバーサリーに出演してくれたドラムンベース界のキングANDY Cも、プレイスタイルや、DJに対する考え方が大きく変革していた。何十回も世界中で彼のプレイを見てきたけど、先週土曜日のWOMBはベストプレイだったと言っても過言じゃない。まず大きな違いはダブプレートを3台のターンテーブルでプレイするスタイルからTRAKTORに移行していた事は大きかった。でも、MACには2時間セットで1度も触らず、自分でプログラミングした3台のタンテ用のMIDIコンでターンテーブルに、次から次へと楽曲を放り込む。そして、2枚のMIXが終わる瞬間に3枚目を怒濤の勢いで差し込んだり、ダビーな楽曲の上に、フレーズのある楽曲を差し込み、戻す瞬間にまた3台目のターンテーブルから3曲目が繰り出される正に連続技。レコードを使っていた時よりも、レコードを差し替える時間が無くなったからパフォーマンスする時間が増えたよと本人も言ってたしね。実際数ヶ月は、どのMIDIコンが良いか色々と試したようだし、数ヶ月やり込んで今のセットアップに決めたと。王者ANDY Cも練習したり自分の新しいスタイルを模索してるんだよ!ここはDJである人達は見習わないといけないね。

後、REWINDしなかったよね!これは大きいと思う。過去のANDY CのDJスタイルはREWINDが2時間のセットで多いときは20回くらいはあったし。REWINDした曲のイントロに直ぐさまMIXしてくるスタイルは、今回は無かったね。これはもちろん本人に聞いたんだけど、最近のUKの若いKIDS達は、REWINDに昔程拘らなくなったのと、何曲もMIXして作り上げたフロアーのテンションをREWINDで止めてしまわないようにって考える様になったみたい。この考えは正に賛同出来て、自分もほぼREWINDしないで、ハウスやテクノのDJのように流れ重視でDJをするタイプだから。後、REWINDの文化や考え方がない国のクラブや、フェスでのプレイが増えたのも大きいと言ってた。それと、KNIFE PARTYの曲も何曲かかけてたよね。ドラムンベースのみで押し切るよりも、たまに別ジャンルの人もフックアップ出来る曲をプレイする事は、フェスとかでは特に意味があると語ってた。4ビートの曲でひっかけて、そのままドラムンベースの世界に連れて行ける。うーん納得だし、自分も心がけてるポイント。

FRICTIONも dBridgeも言ってた様に、ANDY CもUKのDUB STEPシーンは一気に無くなってしまったと語ってた。DUB STEPのメインアーティストのSKREAMが、もうDUB STEPは作らないで、ELECTRO HOUSEに移行したのが大きいと思うと。考えてみなよ、もしもANDY Cがドラムンベースじゃなくて、違うジャンルの音楽に移行したら、オーディエンス達はもうドラムンベースは終わりなのか?って思うだろ?それと同じだよって。後、USは今完全にTRAPになってしまったようだね。本当にシーンの移り変わりは早い。自分はそもそもBPM的にかけずらいDUB STEPはほとんどプレイしなかったけど、こんなスピードでシーンの移り変わりがある中、ドラムンベースは今も生き続け、そして、日本ではシーンが広がってる現象はとても大きく意味がある事だって、改めて感じたよ。

彼と帰国前のディナーで、そんな DJや音楽の話を沢山出来て凄く学ばせてもらったし、ANDYがここまで時間をかけて色んな話をしてくれたのは今までそんなに無かった。でも、今回の12周年で彼も東京のシーンや、DJAKiの06Sでのセットはとってもエモーショナルで心動かされて、本当に良いセットだったと心から認めてくれた。アジアの他の街は想像以上に人が入ったけど、ANDYが終わって、ローカルのDJが始まるとお客さんはほとんど帰ってしまうと。でも、東京は最後まであれだけの人が残るってことは、お前のシーンだし、それだけDJAKiはみんなに愛されているんだよって言ってくれた。

思えば、およそ17年前に初めてNYCで ANDY Cのプレイを見たときから、完全にドラムンベースにはまって、自分もこの道でやっていく!と決意させてくれたDJである彼に、本当の意味で認めてもらえた事は、光栄過ぎて感極まったよ。06S 12周年記念パーティーは、そんな大きな宝物をもらったような心境になったし、彼との新たな友情が出来上がった大きなきっかけになる程、他に中々例の無い素晴らしいパーティーバイブだったって事の証明だと思う。そして、やっぱりみんながいるから成し得た12年と心から痛感し、この12年間関わってくれた全ての人に感謝させて下さい。次の13周年そして、15年、20年と自分のグルーブが衰えるまで、俺は走り続けるから。これからもDJAKi共々06S、ドラムンベースをよろしく!この先の歴史もみんなで創り上げるんだよ!

2013-05-01

MY GROOVE IS YOURS




最近はDJを始める前にDJブースの下に潜って、手を合わせてお祈りをするんだ。この数年で両親を失ってしまった事で、神にも祈りたくなるようになったのも多大に影響してると思うけど、とにかく祈るんだ。自分のグルーブがみんなに届く様に、いつも愛してくれる人達と最高に楽しい時間が過ごせる様にって。深く心から祈るんだ。そして、試合前の格闘家のように自分の顔を10回強めに叩く。すると、DJAKiスウィッチが入って、目の前の景色がぐっと変わって音に集中し、いつものようなパフォーマンスとDJが出来る様になる。気合いを入れると同時に、自己暗示をかけているのかもね。

06S 12周年のコンセプト映像のテーマは、"MY GROOVE IS YOURS"。正に自分のグルーブはみんなのモノだよって事で、昔よりもずっと自分本位じゃなくて、みんなと楽しみたいからDJをしてるんだって、強く感じているんだ。若いうちはどうしても自分がやりたい事に拘り過ぎて、本来あるべきパーティーという概念に反する事もあったけど、18年近くDJをさせてもらった経験から、自分が1番楽しんで、自分の生き方や生活から醸し出すグルーブをみんなと共有する事が、本来のパーティーの目的であり、DJのあるべき姿と考える。

今回の12周年記念ではそんな想いがよりみんなに届いて欲しいし、今回のコンセプト映像も是非見て欲しい。脚本は自分で書いて、撮影と編集は、YUUKiと2人だけで行った。音楽は ASYのSTY。ロゴ組は9BのK2HG。映像の最後の調整は NUMAN。1分半の映像だけど、かなりの少数精鋭なチームで作り上げた。映像の最後に出て来る絵は、20年前にバスでアメリカ1周旅行をして、アメリカ中の美術館を訪ねる旅を共にした親友が、今回のアニバーサリー用に、油絵の具でキャンバスに書き下ろしてくれた。彼はまだ絵描きで、先日偶然にもWOMBで再会する機会があって、凄く感動的だったんだけど、もうWOMBでの自分のパーティーが12周年なんだよって伝えたら、じゃあ何か書いて上げるって。20台前半の頃にアーティストになりたくて、感性のアンテナを立てまくって刺激し合った友人との再会から産まれた今回の絵を、12周年記念の特製ステッカーにしたので、みんなに手にして欲しいなって思う。

いよいよ今週土曜日54日に、自分のWOMBでのレジデントパーティー06S12周年を迎える。しかも、ドラムンベース界の王者ANDY Cを迎えて。完全に役者が揃う12周年。改めて12年も良く継続出来たなと自分でも思うし、開始当初はもちろんこんなに継続するなんて想像も出来なかった。でも、振り返ると音楽に対する情熱はずっと強く心にあったなって思う。そんな熱い気持ちを持って何かに没頭する大切さはこれからも忘れないでいたい。

12周年なので、12組24名様の特別ご招待の応募も受付中なので、5月2日23時~生配信する DJAKi STREAMの番組最後1時頃に抽選会をする。今回は当たる確立がぐっと高いので、応募して下さいね。応募方法は、twitterに【5/4 06S12周年記念行きます@ WOMB #06S12th】と書き込んで下さいね!みんなのたっぷりと笑顔と共に、我らが06Sを盛大にお祝いしましょう。

2013-04-29

06S 12th ANNIVERSARY MIX by DJAKi




この3年、毎年 06S のアニバーサリーになるとMIX をアップする。7000回以上も再生されて、800人近い人がダウンロードしてくれてるって事はとても嬉しく光栄な事。ダウンロードしてくれた人は車とか電車での移動中とか、日常の生活の中でも何度と聞いてくれているはずだから、1度レコーディングしたMIXが1万回は再生されてると思うと、今年もレコーディングしないとなと思って、昨夜は WOMBに訪れた。WOMB の3fには常設された DJブースがあって、去年までおよそ10年間、毎週何度となく深夜に訪れてこのブースで何千時間も時間を費やした。自分にとって神聖な道場のような場所。日本で間違いなく最高峰のサンドシステムを誇るブースで、その環境で費やした時間は財産で、その時間が今のDJAKiを作ったのは間違いない。初めてリリースした MIX CD "NEW TYPE DRUM'NBASS"や、MIMOシリーズ、NIKE+のランニング MIXシリーズ、全てこの DJブースでレコーディングした。

最近は現場で DJ をする回数が以前よりも増えたし、現場でセットを組むスリル感も楽しめる様になったし、CDJの USB機能の利便性もあって、すっかりpioneer の CDJとミキサーでフロアーに対応するエフェクターテクニックを身につけたのもあって、脳内ミックスを完了して、後は本番で一気に攻め込むスタイルになっているから、WOMB 3fの常設ブースにこの1年はほぼ訪れる事も無くなっていた。WOMB 3f に常設されるミキサーは Ureiというロータリーミキサーをサウンドシステム界の神、STEVE DASHが改良したミキサーSDX3700があって、各チャンネルに真空管が仕込まれているから、デジタルサウンドが飽和しているダンスミュージックシーンにおいて、本物のアナログの鳴りを響かせてくれる貴重なミキサー。でも、そもそもハウス DJが多用していたミキサーで、ドラムンベースの DJでこのミキサーを使う DJは皆無だ。でも、レコーディングした時の音が格段に良くて、アナログ感溢れる独特な鳴りはこのブースでレコーディングしない限り表現出来ない。

最近は TRAKTORからスポンサーしてもらって、この1ヶ月は TRAKTOR修行の日々だったんだけど、実際の本番でのプレイはターンテーブルを使う事にした。CDJで起動させるよりも格段に音が太くてアナログな音ってやっぱ良いなぁって思ったのもあって、この MIXでは余計なエフェクトやトリックは回避して、聞いてくれる人達に出来るだけ聞き易く高品質な音のMIXにしよう!と決めた。

久々の道場でのレコーディングは、1発勝負で決めると自分に言い聞かせて始めて見たけど、やっぱり最高に音が良くて MIXしてて楽しかったし、エフェクターに頼らずに楽曲の噛み合わせを考えて、スムースかつアグレッシブな心を込めた MIX が出来たと思う。久々の環境に身を置いて、最高の音に包まれたら原点回帰した気分。このMIXも沢山の人に届いて、ドラムンベースの魅力、及び DJAKiのグルーブが伝わったらこれ以上の幸せは無い。このMIXは2013年の5月末までダウンロード可能なので、ガンガンダウンロードして欲しいと思います。

2013-04-16

古ぼけた腕時計

古ぼけた腕時計。傷も一杯付いてるし、おじいちゃんがするような腕時計。自分は黒い服ばかり着るし、金色のアイテムは他に何も持って無いから、全く自分のスタイルに合って無いのに、この1年ずっとはめている腕時計。はっきり言って全然お洒落じゃないし、DJをしている時に腕を激しく振ると外れそうになるし、暗闇だと時間が分かりにくいし。何でそんな腕時計をしてるの?って思うだろうけど、1年前に他界した父親が40年近く、仕事の時もプライベートの時も、他界する5年前に倒れて車イス生活してた時も、ずっと愛用していた腕時計なんだ。

父親が息を引き取ったその日に自分が駆けつけた時、既に斎場に運ばれていた彼の腕にも、もちろん巻かれていたんだけど、彼の死と共にその腕時計も止まっていた。まるで父親の死を知っていたかの様に。。。そんな奇遇ってあるのかな?って思いつつ外して上げて、ふと自分の腕にしてみたら、信じられない事に、再びその腕時計は動き始めたんだ。正直かなり驚いたけど、父親から命の時間を受け継いだのかなって妙に納得してしまって、それ以来外せなくなったんだ。

今日は父親の1周忌。この1年最大の理解者だった父親を失った悲しみは海の様に深く、普段の生活の中でも様々な記憶が走馬灯のように蘇り、辛く悲しくなる時も沢山あったけど、何処か側で見ているような気もしてならなかった。京都の山奥のフェスではDJブースの後ろに居たし、ウィーンに訪れた際にフェス明けに一人ホテルで朝方寝ぼけながら食事していたら目の前に現れて、自分のやりたい事を貫きなさいって言われたし。あくまでも会いたい衝動から産まれた妄想に過ぎないのかも知れないけどね。

実際会いたいなってこの1年何度も思うよ。親孝行らしい事はほとんどして上げれなかったのに。むしろかじりきれないくらい親のすねをかじった。迷惑も一杯かけた。そんな息子なのに、死ぬ迄無償の愛を与え続けてくれた。あんなに優しく愛情を込めて育ててくれた父親に対して、何でもっと色んな場面で優しく愛を返して上げれなかったのかって、山の様に後悔してる。それでも彼はもうこの世界には居ない。でも、心の中には自分が死ぬ迄生き続けてくれると信じている。無くしてから痛感する親の有り難み。

両親が健在のうちには全く気付けないこの事実。失って気付く前にとにかく出来るだけ親孝行して欲しい。むしろしないとダメ。たまに電話するも良し、実際顔を見せに行くのでも良いし。たまに一緒に食事するのでも良いし。そんな小さな行動が親にとっては最高に嬉しい事なんだよ。親と子供の関係はどこまで行っても変わらないモノ。だから、自分が出来る事で良いから、みんな親を大事にしてね。

今日1周忌を行ったお寺の住職さんの説法は、人は常に死と向き合っている。産まれたからにはいつの日にか、死を迎えなければならない。死の前では全ての人は平等である。死者は、生き残った者が安らかに生きる事を願い、常にそのよりよき行く末を見つめ、守ろうとしていると話してくれた。切なくも真理だなと思いつつ、きっと自分の腕には、この時計が巻かれたままなんだろうな。