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2016-02-24

勇気が旅立った

昨日、親友であり、DJ AKiのパートナーとして長年に渡ってマイクを握るMCである、公私共に自分にとってとても大切な存在の勇気がノルウェーに旅立った。彼との初めての出会いは’98年のニューヨーク。既に友達であった、サブを訪ねてロンドンから来ていた。当時の自分は、今から考えられないほど酷い人で、ニューヨークでの生存競争真っ最中で、DJを始めたばかり。触るものみな傷つけるほど、殺伐とし鋭利に尖っていた若者で、わざわざロンドンから来ていた勇気とはろくに口もきかずに、DJをしてとっとと帰宅し、友達に失礼だとサブに叱られた記憶がある。そんな勇気に対してろくでも無い対応をした自分にも関わらず、その約2年後にロンドンに行くから一緒に本場のドラムンベースやクラブシーンを見に行こうとサブに誘われ、勇気を訪ねたが、大学の卒論目前だったにも関わらず1週間ナイツブリッジの彼の家に泊めてくれて、初めてだったロンドンを案内してくれた。滞在中日夜問わず、過剰なほどにこれからの自分達が進むべき目的や夢を熱く語り合って、そこから揺るぎない人間関係が生まれた。そんな出会いからおよそ20年弱、一人っ子同士だった俺達が、まるで兄弟のように、楽しい事も、幸せな事も、辛い事も、悲しい事も、ここでは全く書き切れ無いほど、山のように濃度が高い思い出を積み上げて来られたのは、お互いを信頼し、自分たちが起こし得る可能性を純粋に求めていたからで、本当に苦楽を共にしてきた。世界中一緒に沢山旅もしたし、大小問わず本当に沢山のステージにお互いを鼓舞しあって立ち、困難な状況も信念を持って乗り越えてきた。プレーヤーとしても友達としても最大級の理解者の勇気が居たから今のDJ AKiがいると言っても過言では無い。そんな彼が新たな人生の一歩として家族と共にノルウェーに移住した。彼の決断を初めて聞いてからは、心から信頼出来る彼が日本から居なくなってしまう不安、愛する彼の家族と会えなくなる寂しさ。もうそんな事を考えると毎日自然と涙が流れて来て、今の自分の精神状態に辿り着くまで大分時間がかっかったけど、勇気がノルウェーに移住する事で、新たに彼が築き上げるコミュニティーに期待し、日本とヨーロッパをより強く橋渡ししてくれるのは間違いないから、自分にとっても逆に好機が訪れたんだと考えられるようになったし、彼の決断を心から応援したい。移住したと言っても、世界地図が小さな勇気は、これからも世界中を縦横無尽に飛び回るだろうし、あれっ?また日本に来たの?って状況になってくれるだろうから、彼との新しい未来に熱い期待をしつつ、住む国が違っても、まだまだ同じステージに立って、マイクを握って欲しい。彼との友情は死ぬまで続くし、永遠であると考えているから、ここから始まる新たなステージに心躍らせようと思います。

2015-08-05

DJ AKi 大分復活致しました

今年は大殺界のせいか、何気に頻繁に病気になるなぁ。。。およそ3週間前から身体の右上半身に鈍痛があって、肩は上がら無いし、首が後ろに回ら無くなっていたんだよ。一向に症状が改善されなくて、そんな状態で6時間DJセットを迎えて、最後まで大丈夫かな?と思いつつも、ブースに立ってDJを始めてしまえば痛みを忘れてしまって、無事に最後まで乗り切れたんだけど、翌日上腕二頭筋に、謎の湿疹が広がって痛みが激しくなった。寝てるだけでも痛いし、肌が荒れる事なんて殆どないから流石に心配になって、患部を写真に撮っていつも06Sに遊びに来てくれる看護婦さんに送ってみたところ、私の経験上これは間違いなく帯状疱疹だから重症になる前に直ぐに病院に行って下さい!とアドバイスされ早速病院へ。案の定帯状疱疹と診断された。この病気はとにかく例えようも無い痛みが強くて、友人が何人か患ったのを見てたから、辛そうだなって思ってたけど、まさか自分にもやってくるとは。。。なめてかかると、湿疹が顔まで広がったり、重度だと1ヶ月入院しないといけないみたいだけど、今回は早期治療のおかげで、湿疹も広がらず治ってくれた。でも、大量の治療薬と鎮痛剤を未だ服用しつつ、無理の無い生活をしてるよ。


体調がおかしくなった時は、もう無心になってひたすら療養するしかないね。幸いな事に先週末は何ヶ月か振りのお休みで、痛みと傷を癒す為に、名湯有馬温泉で湯治出来たのも効いたし、出来るだけより良い食事を心がけ、この3日間は毎日海で何も考える事なく、光合成を繰り返し、潮風を十分に浴びて大分体調が回復してきた。でも、太陽光の浴びすぎで脳にダメージがあるような気もするw 今回も、沢山の方々にご心配をかけ、早く良くなって下さいとお見舞いメールやメッセージを頂きました。優しいみんなに、この場を借りてお礼します。どうもありがとう。DJ AKi大分復活致しました。

まずは明日のDJ AKi STREAM でDJのリハビリとスパーリングを開始します。今回はYUUKi MCが海外に渡航中の為不在でお一人様での配信だけど、休んでいる間も沢山新譜が届いているから、23時~いつもの場所で会いましょう。日焼け凄まじい闇に溶け込むほど真っ黒な私でお送りします。そして、月に一度のお楽しみ、土曜日の06Sには、もっと体調も復活していると思うし、十分に療養したからエネルギーも大分チャージされているはずなので、いつも通り全開で飛ばして行く所存です。夏はクラブよりも海やレジャーって人が多いけど、8月は1週ずれ込んでドラムンベースが足りなくなっている中毒患者も沢山居ると思うし、夏休みだから行ける!と言う学生さんや、地方からの参戦者も多数いると思うので、AUDIO PORNのエースXILENTのサウンドと共にWOMBで開催する06Sで、音の栄養を補給して、夏バテ防止、精力増強して下さいね。でも、発病してから毎日早寝早起きを心がけてたから、深夜3時半に元気で起きていられるかなぁとか、健全な社会人のような心配をしているDJ AKiだけど、みんなから一杯元気もらいたいと思います。

2015-06-01

静岡36時間の旅

初めての街に訪れDJをするのは、この上ない喜びであり、とても幸せを感じる大事な時間と経験。それと同時にいつも以上によりインパクトが強いパフォーマンスをするのも重要で、DJを始めた時から全くブレていない、ドラムンベースの魅力を伝え、少しでも日本のシーンが拡大して欲しい想いを昇華させ為の大切な機会だ。先週末は、そんな想いと共に初めて静岡県浜松市のBASS MUSICパーティー"EFEKT"に招待してもらった。長い間 DJをしていると、仕事の依頼メールの文面を見れば、どれくらい真剣な想いでパーティー開催に努めているか推測が出来る。EFEKTクルーの代表でオーガナイザー兼DJの加藤君は、某自動車メーカーの車のデザイナーで、メールの詳細や文面がとても律儀で仕事が出来る人だな、と印象が強かった。先日の大阪での舞音楽祭にも顔を出してくれたし、しっかりと挨拶もしてくれて、今回訪れる前から浜松でのDJは楽しい事になりそうだと感じていた。

会場のPlanet Cafeは、20年間浜松の音箱として存在し、浜松のダンスミュージック好きに支持されてきたクラブで、箱の規模は大きくは無いけれど、しっかりと音が鳴っていて、十二分に音楽が楽しめるサウンドシステムが装備されている。20年継続出来ているクラブは、もしかしたら日本最古かも知れない。長い歴史に裏付けられている通り、スタッフの皆さんの仕事振りも対応もとても心地良かったし、お酒も美味しかった。もちろんそんな素晴らしいクラブのスタッフとパーティーを形作っているEFEKTクルーも、みんな真面目で音楽が純粋に好きな人達やDJの集まりだった。

DJをした感想だけど、浜松に訪れる前日に、既存のDJセットに新曲をまんべんなく散りばめて、上げ進行でありながら、ドラムンベース及び、BASS MUSICの魅力を余す事なく伝えるイメージをしていたんだけど、そのイメージが思いの外奇麗にはまって、フロアーの爆発力は、小さな地方都市とは思えないテンションで、東京や関西からの遠征組も含め、お客さんのノリが素晴らしく、スタッフのみんなも終止笑顔が溢れ、とても良いパーティーバイブだった。どんな場所でDJをする時でも、場所に合ったイメージに沿って、フロアーの反応を見つつ、DJ中に軌道修正するケースが多々あるけど、浜松の人々は、想像以上にドラムンベースの理解度が高く、常日頃から地元のDJ達が、自分たちのシーンに正しい音を伝えていると実感出来た。いつも思うけど、街の規模やパーティーの大きさに関わらず、最終的にはどんな人がどんな目的を持って、パーティーを開催しているかがとても大事で、色んな街でDJをして来た自分としては、浜松はかなり有り!! なパーティーだった。先日の名古屋も良かったし、東海地方は東京や関西とまた違った人と雰囲気、面白さがあると思う。そして、浜松名物と言えば、ウナギ!ウナギ大好物なんだけど、パーティー当日に連れて行ってもらったのが、浜松駅前の八百徳本店。うな重と迷いつつも食べた櫃うな茶漬けは、刻みネギとワサビをたっぷりと乗せて出汁を注ぐスタイルで、名古屋の櫃まぶしの印象とは違って、若干味が薄味で食べやすく、代々引き継がれている秘伝のタレと、厳選された活きの良いウナギの旨味が十二分に堪能出来る納得の老舗の味だった。肝焼きも美味しかったし、ウナギのグルーブも相まって納得のDJが出来た事は間違い無い。そして、今回静岡掛川から参戦したSIMOが泥酔して、パーティー終了後自分のPCや機材が入った鞄を残したまま行方不明になり、クラブ近くのビルとビルの間から発見されたのも、パーティーがいかに素晴らしかったかを象徴している(笑)

パーティー翌日は、レイトチェックアウトから静岡名物さわやかのハンバーグを食べて浜松を発ったんだけど、東名高速道路を走っていると、神奈川県に突入する直前に玉突き事故による渋滞18kmの表示が。。。とにかく渋滞にはまるのが大嫌いで、ひとまず、足柄SAで停車してどうしようか考える事にしたんだけど、以前足柄SAに立ち寄ってfacebookに写真を投稿した際に、常日頃からいつも温かく応援してくれているミカネーサンが、近くに住んでいるから呼んで下さいよってコメントをくれた事を思い出して、twitter越しに近くの良い温泉が 無いか教えて欲しいとメールをすると、即返信が来て迎えに来てくれると。それは悪いから温泉の情報をカーナビに入れれば自分で行けるから大丈夫だよと言っても、地元民が行き来出来る場所があるからと。言われるがままに車をサービスエリアに停めて待っていると、10分もしないうちに迎えに来てくれた。足柄SAに、地元民専用の裏口があるなんて知る由も無かった。

温泉は趣味だから日本中の温泉地に訪れたけど、富士山近辺の温泉は、あんまり良い印象が無かったんだけど、連れて行ってくれた、あしがら温泉は、小山町という小さな街合いのおもいっきり田園風景な場所に位置していて、町立な公共温泉で、所謂スーパー温泉的な施設では無く、こじんまりとしつつも地元の人々に愛されている温泉場で、掃除もしっかり行き届いている建物で、柔らかな肌触りのお湯は身体が芯から温まり、浜松での疲れを奇麗さっぱり洗い流してくれた極上の泉質だった。天気が良かったら露天風呂から富士山を目の前に望めるロケーションも最高だし、本当に良い温泉は、豪華絢爛な施設に限らず、今回訪れたような場所にあると改めて実感出来て、忘我な時間を過ごせた。およそ36時間の旅だったけど、ナイスな人々と楽しいパーティーを過ごせて、食事も美味しく、最高の温泉に浸かれた。地元の人達に導かれて贅沢な時間と経験を頂けるから、DJという仕事はやっぱり止められないと思った静岡へのショートトリップ。身も心も満たされた楽しい時間でした。

泉質 : アルカリ性単純温泉(アルカリ性8.8ph、低張性、低温泉) / 効能 : 神経痛、運動麻痺、慢性消化器病、病気回復、健康促進等


2015-05-29

青春時代の1ページ in NY

ニューヨーク(以下NY)には90年代の7年間住んでいた。正に血気盛んな20代の青春時代。当時は人格が尖り過ぎていて、知らない人と口なんて絶対にきかなかったし、触る物を皆傷つけるほど、横暴で凶暴で誰であろうと、変化球無し。とにかくストレートに、はっきりと言動も行動もしてしまった時代で、やんちゃ過ぎるその性格と生き方は、今考えると、ホント酷い嫌なヤツで、あの頃にご迷惑をかけた沢山の人々には、この場を借りて謝罪したい。すいませんでした。でも、それぐらいの強い態度と真っすぐな生き方をしていないと、20代そこそこの日本人が、世界中の鋭く切れがある若者達が集まって、切磋琢磨しながらサバイブしていた、まだ治安もメチャクチャに悪かったNYでは、生きて行けなかったんだよ。と言い訳しておこうw。

DJを始めたのは、そんなNYでの生活まっただ中で、その前は22歳からフリーランスでイラストレーターをしていた。日本では女性ファッション雑誌 ELLE JAPONの星占いページに1年間連載でイラストを描いたり、某スニーカーブランドの広告にも自分の絵が採用されたりして、まだバブルの名残もあったから、自分の絵1枚に結構なギャラが支払われて、正直良い気になっていて、凄く考えが甘かったんだけど、自分は海外でも絵の仕事が出来るじゃないの?って考えていた。でも、いざ住み始めてみてもそこはNY。才能溢れる人々が星のように存在していて、自分の才能の無さに打ちのめされて無理だなって薄々感じていたけど、それでも、諦めないで自分の作品をまとめたブックを持って、何社も広告代理店とか、イラストレーターのエージェンシーに足を運んだりもした。今考えるとかなり無謀な挑戦ながら、それでも NYのコミュニティー雑誌の挿絵の仕事をするチャンスを得て、海外で初めて絵の仕事がもらえた時は、凄く嬉しかった記憶がある。でも、もちろんそれだけでは食べて行けないから、カフェのバスボーイ(ひたすらお客さんの空いたお皿を片付けてウエイターをサポートする仕事)とか、日本食寿司レストランでウエイターとかもやった事がある。バイトは日本で生活していた時も含め、本当に色んな職種をやった。正に “Young Poor Faburous”な時代。

そんな頃、絵の仕事をくれたエージェンシーからモデルの仕事をしないか?とオファーがあって、お金が貰えるのであれば何でも仕事しますよ。と言ってオフィスを訪ねると、そこはオーディションの場。日本でもTakeo Kikuchiの丸井のカタログでモデルの仕事をした事もあったけど、もちろん本気でモデルになろうなんて事は1度も考えた事は無かったし、オーディションを受けるのなんて好きじゃないから、断ってみたけど、まぁそう言わずまず座ってよ的な流れで、知らずと合格していた。仕事だし指定されたフォトスタジオに行くと、どうやらカルバンクラインが日本のカルチャー雑誌 CUTとのタイアップ企画、Portraits of Neo New Yorkers (若い世代のニューヨーカー達のポートレイト)で、当時NYで駆け出しながら注目されているアジア人の若手クリエイターやモデル達が10人くらい選定されていた。これがその時の写真なんだけど、俺とは分からない位、別人だよね。。。180cmで56kgだったから、かなり痩せていて、写真から尖っているギラギラ感が溢れてる。時が経てば人間は随分丸くなるなと実感してるけど、この写真を見ていると、NYでの青春時代の記憶が目まぐるしく蘇ってくる。当時はスマホなんて無いから、今のように、写真を気軽に撮れなくて全然残っていないから、これは青春の1ページと呼ぶに相応しい記念の写真だ。この半年後に、DJを初めて結局今に至るんだけど、この時は自分がDJになるなんて、全く考えても居なければ、それが職業になってご飯を食べているなんて、全く知る由も無かったんだよ。DJを26歳で始めるってかなり遅いから、がむしゃらに必至で打ち込んだけど、人生何が起こって、どんな風に転がって行くかなんて分からない。でも、全てはどれくらいの気持ちを持って自分の人生の目的に挑んでいるかが凄く大事で、自分が進みたい道を真剣に切り開いていかないと、現状は変わらない。考えすぎるよりも、まず行動を起こし、臆病にならないで、本気で自分のやりたい事に向き合って欲しいなと、今の若者達には思う。


最近DJを始めたきっかけは、何ですか?って質問を755で若者達からされるんだけど、話すと長いから、その辺のお話は、NYでの青春ストーリー2につづく。

2015-05-26

ブログを再開した6つの理由

最近AKiさんブログの更新が頻繁ですよね?って会う人に良く言われる。基本的にブログを書く事に対して、DJ AKiをサポートしてくれる方々からは好意的に受け取ってもらえているし、俺の事なんてどうでも良い人は覗きに来ないのが、むしろブログのチャームポイントだったりもする。そんな、もの凄くピュアな自分、DJ AKiの日常を記したブログを再開した理由がいくつかあるので書いておくね。

1. GoogleでDJ AKiを検索して、昔はこのブログ”Real Life of DJAKi”が1番上にヒットしてたけど、更新しないで放置してたせいか、今は1番最初がDJ AKiのTwitterアカウントになってしまって、2番目に来るのが名古屋の女ヒップホップ DJで同じ芸名のDJ AKiのブログなのが、何か微妙に納得出来ない。まぁ日本中に山ほど、DJ AKiが存在するのは知ってるけど、そこはやっぱりね。1番DJを長くやってるはずですから。

2.このブログのタイトル通り、自分のリアルな気持ちや日常生活を伝えたいから。メッセージを伝える重要性は、06S 14周年のメッセージビデオの投稿にも書いたけど、アーティストは自分の言葉と気持ちを伝え無いと、この人誰?どんな気持ちでDJしてるの?ってなるのは当然で、そこをしっかり伝えると受け取り側の気持ちも当然変わるでしょ? 一方的では無くて感情を循環させるやり取りって、恋愛とかSEXと同じで、気持ちの交流が凄く重要。そして、ありがたい事に最近はブログに1回投稿すると、かなりの数の人が閲覧しに来てくれるようになった。自分の想いを活字にすると、ラジオでのトークとはまた違った響き具合いを感じる。音楽を伝えるのと同様に、ブログを書く事で、新しい世代のまだシーンに参戦したばかりの人達も応援してくれるようになって、自分がDJをしている音楽が少しでも広がって欲しい。

3.SNSはもう大分長い事やってるけど、TLに広告が入ると何故か感情が一気に冷める。あぁここもビジネスですかって、、、昔はfacebookもtwitterもそんな事は無かったのにね。そして、自分が伝えるべき事がTL上でドンドン流れていってしまう感覚が何か物悲しい。故に文字制限も無く、しっかり細かく書き込めて、1つの場所にそれらの文章達がアーカイブされていく自分のブログの重要性に改めて着目したんだ。 聞いた話だけど、EDM界で爆発的な人気を誇るHardwell は、SNS部隊が5人居て、常に彼回りの何らかの情報を発信して、その人気を不動のモノにしているらしい。EDMはダンスミュージック初心者でも分かりやすい音楽性や今の流行なのもあるけど、SNSを使ってメッセージや気持ち、日常、自分の音楽性をしっかり伝えているからこそ、年間何十億円も稼げている アーティストが何人も存在している事は忘れてはならない。要はやる事はちゃんとやってる。俺にはSNS部隊は居ないけど、そこは見習って自分1人でも出来る事はしないといけないなって思わされたんだよ。

4.文章を書くのが好きだから。基本的に自分の生き方として、好きな事しかしたくないんだよ。ご存知の方も多いですが、本当にわがままな一人っ子0型で、好きな事以外はしたくない!って性格は、もう一生変わら無いって言い切れる。むしろ変わる気も無いし。でも、文章を書く仕事をしていた時代もあったし、かなりの文字数をタイプしてきた歴史があって鍛えられた分だけ、自分の言いたい要素を文章には出来るし、とにかく活字を書くのが好きだから、もっとちゃんとやると決めた。

5.最近TVが下らな過ぎるよね?何でなんだろう? 若い人達は、そもそもTVなんか見なくて、youtube世代か。昔はもっと刺激的な番組が一杯あったんだよ。切り口が鋭い報道番組とか、必要以上に熱血なドラマだったり、事件の再現VTRでもの凄くHな映像が普通にTVで流れてたり、飯島愛がTバックのお尻出しても(古い)、コンプライアンスなんて無かったのにね。今のTVってクレーマーとクライアントに支配されちゃってる感が満載で、見ているとつまらないしイライラするから、ほとんど見なくなった。稚拙なドラマ。同じ顔ばかりのお笑い芸人。そんな情報は正直要らないです、ときっぱり言い切れる暗くて残酷なニュース。子供の頃からTVっ子だったから好きな番組を見ていた方だったけど、気分を害するような余計な情報が入ってくる位だったら、その時間を有効的に使って音楽を聞いたり、MIXを作ったり、ブログを書いている方が、よっぽど建設的だなって思ったんだよ。20代の前半に、こんなくだらなくて無駄な事に時間とお金を費やしてるんだったら、もっと違う事出来るじゃん!って悟ったパチンコと同じ。

6.ラジオ番組を月々3本配信していて、それぞれの番組に主旨と目的があるんだけど、block.fmに関しては、実は適当に話しているようで、TLのコメントに絡む以外のトーク内容は、全て原稿に書いてる。block.fmは、他の2番組と違って、m-floのTakuサンのラジオステーションで、毎月番組をやらせて頂いてる立場だし、粗相が無いように、そして、1人トークで原稿が無いと話すべき内容を忘れ、伝えるべき事を見落とさ無いように。実際トークだけならまだしも、生でDJミックスも同時にしている訳だから原稿が何よりも役立つ。10年以上前にまだワンセグが始まったばかりの頃、NHKのデジタル放送で”UNIVERSAL SOUNDS”って番組をやっていた時に、その番組のディレクターから、ブラジルは楽しいよね~。あ~あのご飯は美味しいよね~、なんて軽めのトークをしてたら、もっと簡潔に伝えるべき内容を明確に話さないと、聴いてる人に全く詳細や感情が伝わらない!と、鬼の形相でダメ出しされた事がトラウマで、その名残で原稿を書く癖が残ってる。NHKは基本的に教育が軸だから、そこで嫌でも学ばされた事は大きい。で、block.fm用に書いてる原稿の文字数が結構あって、これはパソコンの肥やしだけじゃなくて、公開すればブログに書けるなって気づいたんだよ。


こんないくつかの理由があるんだけど、結局ブログって本来凄く個人的な物であって、SNSがこれだけ絶大なパワーを持つ以前から存在する、実は大事な情報発信源で、特に自分のブログは、アメブロのように巨大で無数の人々が往来し、そんな人達を網羅するブログでは無いGoogleでやっているから、余計な通行人から炎上されるような酷くて醜い書き込みとかも無いし、クライアントありきで展開されるビジネスとは真逆で自由だから、心情的に、そして感覚的に自分に凄くフィットしている。これからも日常で感じた気持ちとか、自分が考えている事とか、ドラムンベースのアーティストや楽曲情報とか、もちろん趣味の温泉や、旅の話、美味しいご飯、パーティーインフォ等、出来る限り週2本位は投稿するつもりだから、もっともっと沢山の人が読んでくれると嬉しいDJ AKiなのです。

2015-05-18

12種類の春野菜カレー by Spiced A

気候が暖かくなると、本能的にカレーが食べたくなるのが人間の性。暑い夏に汗をかきながら辛くてスパイシーなカレーを味わう行為は夏の特性で魅力の1つとも言える。元々カレー作りが趣味だけど、最近はダイエットしている期間なのもあって、野菜中心の生活に変化して、外食して必要の無いカロリーや油を摂取するのが嫌だから、自分の口の中に入るものをしっかり管理したくなっている。そんな理由もあって料理を作る機会の頻度が増えた。この前ブログに書いたトマトスープスパゲッティーは、そんな野菜中心の食生活を満たしてくれる、自分にとって身も心も温まる有り難い料理で、パスタを入れなくても、野菜を沢山バランス良く穫る事が出来て、もちろん美味しいスープとして食している。

でも、大量に作ると何日も同じ味を食べる事になって、美味しくてもやっぱりちょっと口が寂しくなって、変化が欲しくなる。そこで、作ってから2日位経ってから、味の変化を求めて、この数年で培ったスパイスの知恵を生かそう!と思い立って、マイ•スパイスコレクションから、トマトスープの味にマッチしそうなスパイスを選んで調合。元々カレーは作ってから1,2日間寝かせる時間を持つ有名店もあるから、この発想は間違って無いと確信して調理開始。以前のトマトスープのレシピから、最終的にカレーに作り直した時に、映えるであろう形を想定した上で、素材を選び直した。スパイスを投入して出来上がってみると、これは中々芳醇で野菜のすっきりとした爽やかさが際立つ、今迄味わった事の無い、優しいけれど刺激的な味に仕上がった。

ここで着目するべき素材は、セロリで、元々大っ嫌いな野菜で、生で食べると今でも好きとは言い兼ねるんだけど、大人になるにつれ、熱を加えた時に産まれる甘みと、食感が良い味を醸し出してくれるのが好きで、スープにして煮込むと格別な味になる。もちろん茎も根も葉も全部食べられる。セロリは食物繊維やβーカロテン、ビタミン、ミネラルを沢山含んでいて、美人になりたければセロリを食べろって言われる食材。美人になりたい訳では無いけど、これだけ大量のセロリを摂れる料理は中々無いと思うし、暑い夏を乗り切ってくれるであろう清涼感溢れる、身体にとっても有効的な野菜だ。

使った材料をメモ代わりに書いておこう。(野菜) 春キャベツ、新玉ねぎ、セロリ、白セロリ、塩トマト、トマト、人参、舞茸、ピーマン、パプリカ、ネギ、パセリ、コーン。明確には14種類。(スパイス) クミン、ターメリック、フェンネル、コリアンダー、チリ、カイエンペッパー。


カレーは何度と無く作ってみて、色んな人に試食してもらったけど、AKiさんお店出した方がイイですよって結構言われるので、もうちょっと大人になったら、良質なドラムンベースが聴けて極上なカレーが食べれるお店をやりたいと考えてたりもする。レシピの詳細は企業秘密で、公開する事は無いと思うけど、このカレーは、今迄作ったカレーよりもずっとレイヤーが際立った味に深みがあって、多種の野菜の栄養含有量が豊富な上、身体に良い仕上がりになったから、凄く満足してる。でも、もっと探求したくなる性分は相変わらずなので、夏に向けてより磨きをかけたカレー作りに勢が出そうな雰囲気だ。俺のカレーを食べられるパーティーをやって欲しい!って声が多数なので、今年は、DJ AKiのカレーとDJを堪能出来るパーティー ”Spiced A”の復活に応えられるかもね。そして、これでまた野望に一歩近づいたに違いない(笑)


2015-05-17

豪邸建設計画 (見取り図付き)

タイトルを見て、DJ AKi がとてつもない豪邸を建設するとでも思った?もしもそうだったら、そんなに素敵な話は無いんだけど、実際は遠い昔、まだ10歳だった頃の自分が将来住むであろう家の見取り図を描いた紙切れが、実家の押し入れ奥底の掃除をしていたら、発掘されたんだよ。どんな想いでこれを書いたのか全く持って記憶に無いんだけど、きっと小学校の授業で、先生が将来の自分の家を書きなさいって言ったんだろうね。10歳の時に25年後を予想してるから35歳でこの家に住んでるって妄想してた自分は、一体何の職業に就いて、どれだけの財を成しているのか?ちゃんと考えていたのだろうか、、、だって、広大な敷地に1階建てで10LDKだよ(笑)しかも、トイレ3つに風呂2つ、敷地内で1番大きなプール完備。犬もニワトリも牛までも飼ってるし。産みたての卵食べて、自分で牛乳絞って飲む気だったのか? 家族8人って事は、両親、自分、嫁、子供 4人の子沢山な家族構成って事かぁ?残念ながら現在 3LDKに1人暮らしだし(涙)

でも、見取り図をじっくり見ていると結構イイじゃん!って思えるポイントはいくつかあるな。きっと特別書斎は自分の秘密基地的な部屋で、窓から直接プールに飛び込めるリゾート地でも中々出会えないラグジャリー感満載だし。日本の高度成長期で公害問題とかが当たり前だった時代に産まれていながら、風力発電搭載で既にエコな発想先取り。この広大な敷地のほぼセンターで、近隣から音の苦情が無さそうな爆音で音が聞けるに違いない、音楽好きにはたまらないオーディオルーム設置。音楽は子供の頃から好きだったけど、ここでパーティーでもする気だったのか?大人になってからその思考と存在に多大なる感銘を受けている千利休も驚きの、茶室ならぬ茶の間?子供なのにわびさびが分かっててたのかい?車庫位大きな自転車置き場。どんだけ自転車が好きだったんだよ。しかも庭にはユニクロ柳井社長の豪邸の如くゴルフ練習場完備。


これを見ていると子供の妄想って全く現実的じゃないけど、自由で何にも縛られていないんだなって感じたんだ。自分はとてつも無い大きな人間になるんだっておもいっきり勘違いをしてたのは間違い無いんだけど、それ位の尺を持って物事を考えていても、子供だったら良いんじゃないか?って思うよ。結局大人になるにつれ、人は何度と無く色んな壁にぶつかって現実を知り、どんどん考え方や行動が小さくまとまってしまうから、今アーティストとして生きている自分としては、この妄想見取り図が出て来て、もっと大きなイメージを持って妄想しないとダメだよ!って戒められた想いがする。そして、お子さんをお持ちの方々。子供には自由に考えさせて妄想させるのが、1番正しいと考える次第です。でも、その育て方で、俺みたいな大人になったらすいません。

2015-05-07

アロマの香りに包まれて

人それぞれ色んなフェチがあるけど、性的なフェチはさておき、戌年産まれが影響しているのか、自分は結構な匂いフェチなんだ。素直に良い匂いがするモノやオネーサンが大好き。どんなに美人でも臭かったら絶対に好きにならないし、臭い物には蓋を閉めたくなる。匂いは自分が好きで良い香りだったら何でも良いんだけど、例えば洋服から俺好みな柔軟剤の匂いがしてたらかなり萌えるし、その人自体が持ってる体臭に香水の匂いがバランス良く混じり合ってたりするとクラッと来る。その反面ちょっとその匂いは、、、って感じる香水を付けてる人は苦手。もちろん人間の発してる匂い以外にも敏感で、高級な温泉旅館とかホテルの部屋、スパって絶対的に気持ちが落ち着く良い匂いがする。香を焚いてお客さんを出迎える温泉宿もあれば、アロマの香りが漂うホテルとかね。そんな良い匂いが自分の家でもしたら素敵に違いないなって思って、ディフューザー(瓶から木のスティックが数本出てるあれ)でも玄関においてみたくなって、06Sにいつも来てくれる女子が、THANNで働いてるから聞いてみた。

THANN はタイ生まれのナチュラルスキンケアブランドで、厳選された植物由来の有効成分を生かして開発された商品が売りで、アロマ仕立てのその香りが好きで、所謂オーガニックな製品で、以前もらったサンプルの匂いを嗅いだら良い匂いだなぁと思ってたんだけど、玄関に漂う上品でフルーティーな香りのおかげで家に入った時の印象が変わった。その話を商品管理部の部長さん(彼女も06S常連さん)に話したら、だったらAKiさん色々と試してみて下さいよって言ってくれて、素敵なプレゼントが先日家に届いた~♡ プロダクトのデザインもモダンだし、ボディークリーム、シャワージェル、フェイスクリーム、アロマオイル等、今迄これは女子の物だろ!って思ってたけど、実際試したら凄く心地良くて、お肌もスムース&ジェントルな感じになってきた。アロマの香りにすっかり癒されちゃって、精神的な落ち着き作用があってリラックス出来る。食欲も回復したし、フレグランスミストを枕に振りかけると、気持ち良く快眠出来るようになってきた。こんなに効果あるんだっ!てちょっと驚いてるけど、アロマの香りに包まれて、これで俺も女子力UPに違いない(笑) 。ステマブログでは無くて、本当に良い物だと思えるので、女の子に限らず男でも試してみるとイイと思うよ。人間の五感は、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚で、匂いってモノ凄く大事だと感じるし、感覚を鋭く極める為には、それぞれの感覚を敏感に鍛えるのって大事だなって感じる匂いフェチのオイラです。


2015-04-26

トマトスープスパゲティーレシピ

元々料理は好きで、子供の頃から料理好きだった母親の横に立っては、お手伝いしてたんだけど、ここ数年はカレー作りにはまって、20種類近いスパイスを調合して繰り広げられる味のレイヤーの深さが楽しくて、すっかり趣味化してたんだけど、最近めっきり作らなくなってた。そんな矢先身体を壊して医者で検査したら胃腸も弱ってるし、中性脂肪が多いから禁酒と、規則正しい食生活を促されてから、ここは奮起してついでにダイエットしようと決めて、好きだった酒も止めて野菜中心の食生活にして、自分に厳しく出来る日は1日1食にしてサラダだけの日も作って、身体のコンディションを整えてたら、体調も回復してきて3週間で8kg痩せた。でも、サラダだけではやっぱり味気ないし、元気出ないし、温かいご飯が食べたくなるから、ポトフとか何種類かの野菜スープを自分で作り始めたら、これが中々美味しく出来上がる。で、今夜はトマトスープでも作るか!と思って調理を開始。

煮込み始めて味見すると、びっくりする位美味しくて、東京の有名スパゲティー店はしやからのれん分けして恵比寿で営業してるアンクルトムでいつも食べるトマトスープスパゲッティーのスープの味に似てる!と思って、最近炭水化物も出来るだけ抜いてるけど、これはスパゲティー入れてみよう!って事になって方向転換。出来上がりを食べてみると自分の作る料理の才能にビックリしちゃう美味しさで最高の味わい。でも、これ作るのに食材に拘ってたら4,000円近くもかかるという、あり得ないコスパながら、1人暮らしにも関わらず大量に作っちゃったから、後23日はこのスープを食べる事になるなぁ。美味しいから良いけど。まぁとにかく簡単に作れるし、記憶が鮮明なうちに自分も忘れないようにレシピ書くから興味ある人は作ってみて!

(材料) 多分4、5人分以上
トマト 3 、人参 1本 、白セロリ 1 、玉ねぎ 3 、インゲン 5本、ネギ 1/2本、ピーマン 3個、キャベツ 半分、舞茸 1パック、コーン 1缶、ベーコン 1パック 200g位、ホールトマト 2(2種類)、パセリ 少々、トマトジュース 300cc、人参ジュース 200 cc

オリーブオイル 大さじ1杯、水(ミネラルウォーターなら何でもOK) 1.5ℓ、コンソメ 大さじ3杯、冷凍鳥出汁 (築地で購入。入れなくてもOK) /2 パック 、 大さじ1、こしょう 少々、タバスコ 少々、粉チーズ (かけた方が絶対に美味しい)、デチェコリングイニ No.8 (スパゲティー)

1、野菜全部を細かく切る。(野菜ゴロゴロ系よりも細かいのが好きだから) 2、鍋にオリーブオイルを入れ玉ねぎを10分位炒める。で、ベーコン投入。3、野菜全部を鍋に投入。水も入れて各野菜ジュースも入れる。調味料を入れて味を整える。4、強火で15分煮てから、弱火にして1時間煮込む。5、パスタをアルデンテ気味にゆでる(7分くらい)6、スパゲティーがゆであがったらお湯を切って、その上に具とスープをバランスよくかける。6、コーンをスプーン3杯分くらい、刻んだパセリを乗せる。7、食べる直前に、タバスコと粉チーズかけて、さぁ食べてみよう!

すっかり主婦のブログみたいになってるけど、料理って曲作りとかDJのセットを組むのと似てて、良い素材(曲作りならサンプル音。DJなら良い音楽)を自分の好みに混ぜ合わせて、絶妙なバランスに落とし込む作業。イメージに近い物が出来上がると楽しいし、やっぱり何かを作ってるのが自分は好きなんだなって思った日曜日の夜の味。では、お試しあれ!

2015-04-16

父親の命日

個人的な話なんだけど、今日は父親の命日だったんだ。他界して丸3年。お墓参りして、お寺でお坊さんにお経をあげてもらった。遅い子持ちの1人っ子で、正直怒られた記憶ってほとんど無くて、きっと目に入れても痛く無い程、俺の事を溺愛してくれた父親。一切俺の人生のレールは引かないで、何でも自分が好きな事をやりなさいが彼の教えで、ピアスを空けて長髪だった俺に、お父さんも若かったら絶対に同じスタイルにすると断言してた、理解のある昭和5年産まれの父親。DJもしっかりやりなさいと応援してくれていたし、1つの事を継続出来ていて良い事だとも言ってくれていた、とても優しい父親だった。3年絶って悲しみのどん底からやっと心が回復出来て来たけど、今日は彼との思い出を振り返る大事な時間だった。

自分はもう既に両親が他界しているから、彼等がこの世から居なくなった事で学んだ事も沢山あって、親って物は亡くしてその存在の大きさを痛感するんだよ。そして、居なくなるとあの時にこうして上げてれば良かったなぁとか、もっと優しく接してあげてればっ良かったって、後から後悔するもんなんだよ。だから同じ事を何度も言うようだけど、親が健在なうちに出来るだけ親孝行して上げて欲しい。別々に住んでいる人は、たまには電話して上げたり、帰郷してご飯食べて自分の近況をちゃんと伝えたり、一緒に住んでるなら親への愛と感謝を常にしっかり行動で見せて上げて。親は子供に無償の愛を抱いてるから、そんな、ささいな事でも嬉しいからさ。DJAKiからのメッセージとして受け取ってくれたら、みんなに伝えた意味も有るので、まず両親に産んでくれてありがとうの一言からね。

そして、以前ブログに書いた父親の形見の腕時計は、この3年を目前に静かに止まって、時計屋さんに修理に持って行ったけど、もう古すぎて部品が無くて修理するのは不可能と言われた。悲しみの記憶から抜け出せた頃に止まった腕時計。でも、心には以前よりも強く父親の存在は残っている。


2014-08-25

京都祇園の一力でお茶屋さん遊び

誰だって大なり小なり、夢とまで言わなくても、叶うと嬉しいなって思う事ってあるじゃん?  比較的自分は願うと何でも叶って来た有り難い人生を送ってる方だと思うんだよね。大好きなDJで、ご飯食べて行きたい!とか、ブラジルでワールドカップの日本戦観たい!とか。ホント願いって人それぞれ様々だけど、この年齢まで生きて来て、まだ人生で叶うと良いなって思う事がいくつもあって(欲張り)、その中の1つに、京都の祇園でお茶屋さん遊びしてみたいなぁってこの10年位思ってた訳なんだけど、遂に叶ったんだよ。

連れて行ってもらったお茶屋さんは、一力と言う祇園でも1、2を争う格式高いお店で、もちろん一見さんお断り。忠臣蔵で有名な、大石内蔵助が吉良上野介を闇討ちする以前に、仲間達とこの一力で芸者遊びをして、闇討ちなんてしないよ〜って素振りを見せて、敵の目を翻弄させた歴史的にも由緒あるお茶屋さんらしい。

舞妓サンが登場すると何とも言えない緊張感が漂って何を話せばイイのかな?って若干戸惑ったけど、舞妓サンも芸子さんもホントにプロなナイスな人達で、オニーサン日本人でっしゃろか?とか、この髪型はどうなっておよしよすえ?とか、(確かこんな感じのネイティブ京都弁)コミュニケーション上手で、思ってたよりもずっとナイスでフランクだったよ。程よく三味線弾き語りと共に芸子さん達の舞いも始まって、何とも情緒溢れる雰囲気。美味しい京懐石と京都の地酒が相まって、ほどよい酔い心地で気持ち良く遊ばせてもらいました~。京都は元々好きだったけど、まだまだ知らない京都が一杯あって、普通の観光では足を踏み入れられない領域がある事を身を持って知ったよ。未体験の経験はいくつになってもやっぱり刺激的で、大人な遊びは日本男児に産まれて良かったなぁっと改めて思えた、ハイクオリティーな時間と空間でした。また行けるように精進します!








2011-05-26

築地移転問題に提言!

先日震災以来久しぶりに築地市場へ出掛けた。当日は、BBQで山中湖に仲間と行ったから、BBQ用の買い出しだったんだけど、もちろん、朝ご飯を最も大好きなお寿司屋さん"鮨文"で食べよう!って事になって、朝一で9人まとめてお寿司を満喫させてもらった。鮨文の板長の佐藤氏は、正に職人気質で中々無骨な性格だから、初めてきたお客さんには口もきかないけど、根はとってもお客さん想いの優しい方で、常連客になってからは、その季節の旬のお魚情報や、築地の裏事情を教えてくれたりで、とっても好きなシェフの一人。そんな彼に以前から気になっていた、築地移転について、どう考えているのか?と質問を投げかけてみた。

彼は、遠い目をしながら、豊洲への移転はもう阻止出来ない現状で、石原都知事の再選が決まって、更に拍車をかけたと。。。これは、都民が下した決定であって、移転に絡む利権が渦を巻いている状況で、豊洲でのテナント料は、現在の3倍に跳ね上がるとの事。現実そのテナント料を支払って、土壌汚染が噂される豊洲に移転するお店はそんなに多く無いし、実際問題これを機に店じまいするお店が軒並み続くだろうって言っていた。もちろんそれに対して、長い間抵抗や、反対を続けて来たけど、とにかく石原を選んだ都民の責任ですからと。。。

ちょっと待った!!自分は都知事選前からもちろんアンチ石原だったし、愛すべき築地の移転は有り得ない話だったのに、もうそんな話迄、進んでいたとは。。。自分みたいな人間が叫んだところで、今の現状を打破出来るか、分からないけど、みんな本当にこのままで良いと思っているのかな? あの築地市場が、早ければ、もう3年以内に無くなるんだよ!もう本当に考えられないし、選挙前にそんな話って全然都民に届いてないし!震災にまぎれて、行われた都知事選の結果だよ。。。日本が世界に誇るべき、江戸から長年続いた食文化の発信地である築地が、完全に崩壊する事実を、自分はどうしても素直に受け取れない!これって阻止する手段は無いものだろうか?教えて偉い人!

2011-03-30

東北関東大震災

過去に経験が無い程の被害をもたらした、東北関東大震災。今迄の人生で、ここまで大きな負のインパクトを与えられた経験はなく、地震大国日本の歴史を見ても、未曾有の大きな震災になった。東京でも激しく揺れた地震が起きてから3週間近くが過ぎて、状況的にも精神的にも落ち着いて来たので、ブログを書いてみようと思う。


地震の起こった3月11日。前日から徹夜で作業して、朝方になってしまい、築地に訪れて、大好きな鮨文を食べ、日本酒を飲んでほろ酔い気味のまま帰宅。寝ようとしていたら、自宅に電気屋さんが訪れて、ビルの工事の音がうるさくて寝れないなと思っていた矢先の大地震。あまりにも揺れが酷くて、思わず走って30秒の代々木小公園に避難。公園のすぐ側には、建設中のビルがあって、大型クレーンがおもいきり揺れていて、公園に向かって倒れてくるんじゃないかと思う程。もちろんご近所さんはじめ、工事作業員等がみんな公園に集まっている姿が、大きな地震を象徴してたけど、その後家に戻ったら、冷蔵庫の物が飛び出しているし、仏壇の中身も床に散らばっている状況で、地震の大きさを物語っていた。そして、何よりも地震後の津波や原発の被害をテレビで見て、次々と流される悲惨な映像に強い衝撃と、今回の震災の大きさを痛感した。


その後、世界中の友人から安否を気遣ったメールが無数届いた。そのまま日本に居ないで、逃げておいで!という内容も多数だった。一体世界のメディアはどんな報道をしているのか?そして、TVから流される震災や原発の報道は、正直素直に受け取れない内容ばかりで、元々素直に受け入れられなかったメディアや日本政府に対する不信感がとても高まってしまった。果てしなく続く無数の余震の中、じっと東京に居て、軟禁状態のまま彼等の言う事を聞いていたら、命にも関わるかも知れないと判断し、東京から1,000km以上離れた熊本に避難し、数日様子を見て、再び東京での生活を始めている。


今回の震災で強く感じるのは、人それぞれ違った考えがあって、人それぞれに違った思いがある。元々人間ってそういう生き物だけど、日本の社会では、出来るだけ自分の意見や、個性を殺すような生き方をせざるおえなかったのかなと思う。でも、震災によってtwitterやインターネット上に吐き出される情報は、人それぞれ多種多様で、人間の本来の姿が露呈されてしまっていると強く感じてしまった。そして、これだけ良くも悪くも様々な情報が交錯している現状で、自分は何を信じるべきなのか?震災後正しい答えが未だ見つけられないまま困惑している。


震災が直撃した東北地方では、1万人以上の方々の命が一瞬にして失われ、未だ1万人以上の行方不明者がいる。自分の周りにも実際家族や親戚、友人が被害を受けた人も沢山居る。昨年自分は母親を亡くしたが、母親一人の死に対して、どれだけの人が悲しみに包まれたか痛い程知っている。たった一人の死に対してだ。そんな悲しみが2万人分だと思うと、完全に自分の想像の許容範囲を超えた、とてつもない大きな悲しみが東北地方を襲っている事実を、もっと噛み締めなければいけない。そして、20万人を超える避難民の現状を考えると、心がとても痛むし、そんな人達に対して何が出来るのか?一人一人が真剣に復興に向けての考えを持って、行動しないと、このまま日本は崩壊してしまうかも知れない。でも、ここで新たな日本を復興出来た時に、新しい世界が始まると信じたい。


正直、自分の生業である、音楽やイベントで被災地の方々を直接的に手助けする事は現状厳しいと思う。だって、今は生き抜く為のおにぎりや、生活する場所の確保の方が大切だから。でも、何もしなかったら何も変わらない。このままずっと自粛していては、全ての状況が悪化するだけだ。そんな状況の中、MAKOTOクン主宰のレーベル"HUMANELEMENTS"からリリースされるチャリティーコンピレーション"SOMETHING WE CAN DO"への楽曲提供や、WOMBで開催されたチャリティーイベントの企画運営に携わった。まずは、自分の出来る事から。1歩1歩、前に進んで行くのみ。それが今自分が導き出せた唯一の答えだから。

2010-11-17

レオニーいよいよ公開!

1120()に遂に公開が始まる映画 "レオニー"。この映画は長年の友達であり、自分の DJ の上でいつも MC をしてくれている良き理解者 YUUKi が、プロデューサーとして製作に携わった作品。

約3年前に UK ツアーを共に旅した際に、ロンドンからリバプールに向かう電車の中で、天才彫刻家 イサム・ノグチの自伝を YUUKi が読んでいた事があって、イサム・ノグチ の母親である レオニー を主人公に、映画を制作すると聞いていた。YUUKi の母親である松井久子さんは、女性映画監督で、彼女の3作目にあたる今回の作品は、過去にあまり前例がない、日本とハリウッドの共作で、7年以上の構想を経て、脚本と監督を手がけた、彼女の魂が詰まった作品になっている。

20世紀初頭のニューヨークで、日本人と恋に落ち、イサム・ノグチを産み、様々な運命に導かれながら、子供と共に新天地日本での生活を始めた、レオニー。当時の日本で、外国人として子供を育てながら生きて行く葛藤や、たくましさが繊細に描かれている。

この2、3年はこの映画の撮影や準備の為に、アメリカと日本を何十往復も YUUKiがしていたのを真横で見ていたから、どれだけの時間と労力を費やして、この作品の完成へと辿り着いたか、痛い程知っている。

そして、今年の春に行われた試写会で、この作品から、母親が子供に対して抱く強い愛情や想いを、随所に垣間見て、様々な想いが込み上げてしまい、上映中、涙が止めどなく流れてしまった。YUUKi や、彼の母親である監督の苦労を知っているとはいえ、映画であれほど、感動して泣いてしまった事は、自分の記憶でも、そんなに無い事だ。女性視点で描かれているこの作品を通して表現されているメッセージは、とても深く、既に母親の人、これから母親になる人まで、きっと多くの女性から熱い支持を集めると思う。自分の母親はこの夏に他界してしまったけれど、母親が子供に抱く愛の尊さや、自分に注いでくれた愛を再確認させられた、"レオニー"。とにかく、素晴らしい映画なので、より多くの人達に観て欲しいと思います。

2010-10-29

ハロウィン

今年もハロウィンの季節が到来。ハロウィンは、仏教で例えるならお盆のようなモノで、死者の霊が家族を訪ねたり、魔女や、精霊が現れると言われているけど、自分にとって、ハロウィンの思い出と言えば、90年代、7年近くニューヨークで生活していた頃の事を思い出す。当時は、イーストビレッジの Cafe Orlin というカフェのカウンターで働いていて、自分のシフト時間の売り上げを管理したり、ドリンクを作ったりしてたけど、ハロウィーン当日は、欧米人にとって特別な日で、ニューヨークは特に大きなパレードもあるし、仮装する事が子供の頃からの習慣で、みんな休みを取るから、知らずと毎年仕事していた。ハロウィンは正直あまり馴染みが無かったし、日本人で仏教徒の自分にとって、関係ない行事だなぁという思いで遠くから眺めているような状況だった。


でも仕事中に、早めの時間帯は、仮装した子供達が、Trick or Treate! (トリック・オア・トリート。お菓子くれないと、いたずらしちゃうぞぁ)と言いながら、こぞってお菓子をもらいに来る。仕事中ながら、その子供達がカフェに訪れる度に、お菓子を与え、パレード終了後にどっと仮装した沢山の人達がお店になだれ込んできて、目が廻るような忙しさだった。


自分は、未だに仮装した経験がないけど、ここ数年日本でもハロウィンが大分浸透して来て、仮装してパーティーに遊びに行く人がかなり増えてきた。仮装して楽しむのは、もちろん悪くはないけど、客観的に見ると、日本人特有の欧米文化の上辺だけをすくっているようにも見える。ハロウィンの本質をちゃんと理解した上で、楽しんだ方が、より良いのではないのかな?と思ったりもする。


日本のハロウィンに対して若干冷ややかながらも、ハロウィンを題材にした、奇才 Tim Barton 監督の映画、"Nightmare Before Christmas"が、大好きなので、仮装して出掛けない人は、家でこの映画でも見てまったりするのは、ありかもね。

2010-09-21

ブログ再開します

"REAL LIFE of DJAKi" を見てくれているみなさん、大変ご無沙汰です。


twitter 等で、自分の身に起こっている出来事を書いていたので、知っている人も多いと思いますが、今年の夏は、母親が他界し、様々な家族の事情があって、みんなとコミュニケーションする気力も失って、2ヶ月以上ブログをUPしていませんでしたが、やっと精神的にも落ち着いて来たので、ブログを再開しようと思います。正直、ここ1、2ヶ月は、今迄経験した事が無い辛い思いや、悲しみに襲われていた上に、あまりにもバタバタな日々を過ごしていて、完全に自分の活動も出来ず、一人息子として、家族の為に自分のやらないといけない仕事に追われていたけど、友達や、親戚、多くの人のサポートのおかげで、何とか乗り越える事が出来ました。色んな意味で人生の勉強が出来て、人として少しは成長したと思います。これからは、今回の出来事で学んだ事を糧に、自分が本来すべき活動を極めて行きたいと願っています。先週から通常の生活に徐々に戻って、DJ 活動も開始したので、また様々な土地のパーティーに訪れるし、楽曲制作も再開しました。再びみんなと楽しい時間を過ごし、忘れかけていた自分の使命や、笑顔を、取り戻して行ければと思っています。


これからも DJAKi 共々、このブログ "REAL LIFE of DJAKi"をよろしくお願いします。

2010-05-25

熊本植木温泉 _ 湯〜庵

晴れ男の自分でも、何故か熊本に訪れる際は、雨が多くて、今回も大雨が降っていた。。。それでも熊本の街には大きなアーケード通りが街のほとんどに網羅されているから、傘無しでも街をあちこち歩ける所が便利。週末の熊本は、雨でも相変わらず賑やかだけど、さすがに本降りの雨の中開催された、"FRESCO"のドラムンベースパーティー"HI & LAW"は、集客は若干少なめだった。でも、いつも遊びに来てくれる人から、最近パーティーに顔を出してくれるようになった人迄、大雨の中でもパーティーに来てくれて、心から嬉しかった。雨の日サービスという事で、初めてパーティーの最後およそ40分ほどDJをして、終了時のお客さんの拍手がとても暖かかった。


熊本 FRESCO 出演翌日の日曜日に、ひさしびりに植木温泉の貸し切り風呂 "湯~庵" に訪れた。九州道の熊本ICから1つ目の植木ICで降りて、車で10分足らずで到着する、熊本市街地からの利便性の良さは、ポイントが高い。周りにほとんど建物がない、ゆったりとした田園内にたたずむ、数寄屋造り風の"湯~庵" は、全17室。トルマリン石の岩盤風呂と、露天風呂。石で組まれた半露天とヒノキ風呂等、各部屋に趣向が凝らされている。造りも環境もとても熊本的でゆっくりとくつろげる。泉質は、植木でも1、2を争う泉質で、トロっとした肌触りは、南関近辺の三加和温泉や、山鹿温泉等、この近辺に分布する温泉地の泉質に似ていて、湯上がり後に肌がツルツルになる、正に美肌の湯。


雨が降っていて、露天にはゆっくりと浸かれなかったけど、畳が敷かれた内風呂の、毎回入れ替えられる新鮮な温泉は、身体の芯から暖まる。春の気候にはちょっと熱くて、約2ヶ月振りに訪れた温泉に完全にノックアウトされてしまったけど、沢山発汗して、かなり疲れがほぐれた。お風呂に入ってからマッサージを受けたけど、割りと若い聴覚障害者の人がマッサージをしてくれたが、言葉無くして、一生懸命コミュニケーションする姿が健気で、マッサージも上手で、彼の働く姿に感銘を受けた。施設内にレストランもあるし、食事も温泉も楽しめる"湯~庵"は、あぁ熊本に来たなぁ、、、と実感させてくれる貸し切り風呂だ。温泉に浸かったせいか、心無しか身体が軽い。やっぱり最低でも月に1度は温泉が必要。。。温泉地がある地方の方々!いつでもDJのオファーを!!日本全国良い温泉が存在すれば、何処でも訪れます★


泉質 : 炭酸ナトリウム - 炭酸水素塩 / 効能 : 神経痛、慢性皮膚炎、美肌、慢性婦人病、飲料可

2010-05-13

築地_やじ満

今回の築地グルメレポートは、市場内の中華"やじ満"。毎度ブログに登場する、我が愛するお寿司やさん"鮨文"の2件隣りで、店内で食事をした事は無かったけど、度々お持ち帰りのしゅうまいを購入し、家で蒸して食べる事もしばしば。ボリュームがある割には、胃にもたれないさっぱりとしたしゅうまいで、お気に入りの逸品だ。


築地は、ほぼ週に1回は来るし、基本的に色んなお店を試してきたけど、築地に来て迄、中華は無いよな。。。という思いがあった為、この数年築地に通いながらも、やじ満は試さなかったが、何で今迄このお店のお持ち帰りしゅうまいしか買わないで、素通りしてたんだ!と後悔してしまうほど、美味しい中華屋さんだ。


4月から始まる季節限定メニューのあさりラーメンは、この店でしか味わえない絶品で、さっぱりとした塩味の鶏ガラスープに、あさりの旨味が溶け込んでいて、最高に美味しいけど、先日試した冷やし中華は、本当に心から美味しい!と思える逸品。元々暖かい季節が訪れると、無性に冷やし中華が食べたくなる性分で、色んなお店で試してみるけど、中々納得のいく味に巡り会う事はない。でも、ここやじ満の冷やし中華は、自分にとって、ど真ん中のストライク。3代に渡って守られてきた、黒酢をベースに作られた秘伝のタレのバランス感は、究極的で、正に絶品。きゅうり、たまご、紅ショウガ、チャーシューとトッピングが王道そのもので、これぞ理想の冷やし中華ですよ!と食べた時に叫びたくなった。築地市場は、食のプロが集まる場所だから、長年続けられているお店は、もちろん揺るぎない、そのお店ならではの味がある。そんな築地の常識を、長い列に並ばずしても味わえるやじ満は、間違いなくオススメです!

2010-05-12

マイブログ、1周年を迎えました

自分の DJ 活動や、旅。好きな音楽、食べ物、温泉等。日々の生活で身の回りに起こる、様々な話を伝える事で、自分自身の考えや、自分の愛する音楽"ドラムンベース" の事を少しでも、知ってもらえたら良いなと思い、1日10人も見に来ない状況で開始したこのブログが、先月末で1周年を迎えた。1年経ったからヘッダーを、リニューアル。


最近は地方に訪れたり、久しぶりに会った人達から、ブログ見てるよ~と挨拶のように言われるようになったし、このブログを通して、自分の近況を多くの人が知ってくれているのが、案外嬉しかったりする。

この1年で書き込んだ投稿数は、135。平均で 2.7日に1回はブログを更新している計算だから、さぼっているようで、割とマメに更新している方かな? ブログに訪れてくれた人は、世界 66 各国から40,000人を超え、ページビューは、60,000ページを超えた。

amebro の芸能人ブログとかと比べたら、大した数字じゃないかも知れないけど、細々ながら1年間続けて来たブログに 40,000人以上の人達が訪れてくれた事実は、個人的にとても有り難く、感動的だ。何もしていなかったら、この1年の自分の動きは、何も伝わらなかったと思うと、逆に虚しく寂しい事だ。


最近はつくずく思うけど、インターネットが完全に普及した現状から、TVや、雑誌等の存在価値がどんどん薄れてきていて、個人発信のブログや、USTREAM、SNS、TWITTER から発信される情報源が、ユーザーにとって重要な要素になって、既存のメディアを色んな意味で、超え始めたなぁと感じている。実際の経験から産まれて、噛み砕いた言葉に真実があると思えた1年。これからも時間と話のネタが許す限り、自分の言葉でブログを書き続けて行きたいと思う。

基本的に、緩めな進行だから、みんなも時間がある時に、覗いてくれたら、幸いです!これからもよろしく♬

2010-05-10

逆流性食道炎

セルビアから戻り、そのまま成田から新幹線で大阪に移動し、東京に戻ってから WOMBでのパーティー。セルビアから大阪まで移動にほぼ1日かかっって、大阪で DJをし、東京に戻り 06S。GWのバイブのおかげが、あまりにも良いパーティーだったから、パーティー終了後に飲み過ぎてしまって、若干体調に異変を感じていた。1週間という時間の中で、ちょっと詰め込みすぎたかな?と思っていた矢先、GWの連休中にスタジオで、堪え難き痛みが胸のあたりを中心に襲ってきた。


10年位前に、長年住んでいたニューヨークから日本に帰国して、あまりの環境の変化に極度のストレスを感じたのか、胃潰瘍で入院したけど、それ以来、疲労やストレスがたまると、胃に異変が2年に1度位起こる。。。こう見えて案外センシティブな部分があったりする。近所の緊急病院や、三軒茶屋、池尻のボロボロの緊急病院の古畑病院、旅先の軽井沢で病院に、倒れる様に転がり込んだ事もある。でも、いつも強めの鎮痛剤を点滴してもらうと、痛みが和らぎ、また普通の生活に戻ってしまっていたけど、2年前に同じ症状が起こった際は、医者に胃カメラを進められて、その時診断された病状が、逆流性食道炎。


胃酸が、食道に逆流し、食道に炎症を起こすこの病気は、ストレスや、飲み過ぎ、たばこ、不規則な生活、寝る前に食事をする等、様々な理由が原因で発症するようだが、全部この原因があてはまっている自分は、この病気になって当然だ。。。

40歳になってから痛い程感じるのは、気持ちは若くても、身体は正真正銘40年間の時間を生きて来ていて、老化が少なくても始まっている事実があり、20代の頃に比べると、精神力に伴わない、体力の衰えがあって、全く次元が違って来る。若かりし頃は、何も考えないで、赴くままに遊び、弾けていた性格なだけに、30歳、35歳、40歳と、どんどん低下していく体力と共に、これは自分の健康に対する考え方そのものを変えないと、早死にするなぁと身を持って感じる。身体に起こる痛みや、異変は、身体が自分自身に送るメッセージだからしっかりと受け止めなさい!と D-BRIDGEに注意されたし、最近は、何故か会う人会う人にたばこは止めて、生活を見直しなさいと言う、再三の注意を受ける。。。これも何かのメッセージだな。。。


この先10年更に DJ を続けて行く為にも、処方された7種類の薬をしっかりと飲んで、まず病気の完治をし、自分自身がもっと先を見越した生活の過ごし方を心がけないとなぁと、身を持って感じる今日この頃だ。みなさん健康にはくれぐれも気をつけましょう★